2017年も残りわずかになりました。
今年は本当に色んな事がありましたが全て生きるための土台となる気付きをもらった年でもありました。
自分にとって本当に大事なものは何かがわかりかけてきたような気がします。
前回セミナーを開催するために博多に行ったと書きました。
そして博多から熊本が近いという事がわかりせっかくなので普段お世話になっているプレミアム会員1期のNさんの地元熊本市に行く事にしました。
40年ぶりの熊本
熊本にお邪魔するのは高校生の修学旅行以来で40年ぶりの事となります。
9月と10月に人間不信と自己嫌悪で最大に落ち込んでいる時に偶然見た古いドラマも40年前によく見ていたドラマでした。
俺はどんな権力者でもどんな金持ちでも過ぎ去った時間は取り戻せないと常々言ってましたがこのドラマを見て人間にも旬の時期がある事に気づきました。
出演している俳優さんや女優さんの3人に1人はもうこの世にいなく健在な方も40年の歳月が過ぎているので当然のことですが浦島太郎の煙を吸ったが如くしわが増えしみができ別人のようになられています。
なので人生は一日が人生でその積み重ねが一生になるだと思います。
11月の仲間の結婚式や親友の死など沢山の出来事が線でつながっているような気がして不思議です。
水前寺公園
Nさんと博多セミナー前に雑談をしました。
「熊本は40年前水前寺公園に行きました。」
「私の家の近くですよ」
「あ できれば懐かしいのでもう一度行って見たいですね」
「あー是非行きましょう」
Nさんが家の近くとおっしゃったこともあり40年ぶりに水前寺公園へ連れて行ってもらう事になりました。
水前寺公園に行きたかった理由は40年前に行った時買ったタヌキの貯金箱をもう1個欲しかったのと40年前に行った時の記憶が蘇るかと思ったからです。
行って見るとやはり40年も前の修学旅行の時の記憶はすべて蘇るわけはありませんがいくつか思い出されることがありました。
その中でも一つ鮮明に覚えていることはみんなが木刀を買っている時に俺は何故か視線を感じその視線の先にいたタヌキの貯金箱を買ったことです。
お土産の小遣いの予算を1500円以内と決められていてタヌキは1800円だったので300円オーバーしばれたらまずいかとおもいながら買った事を思いだしました。
タバコでみんな停学
そして修学旅行の夜にアルバイトの給料を3万円ほどもってたので旅館を抜け出して友達と熊本の繁華街に遊びにいこうと画策していました。
しかしその目論見はもろくも外れました。
泊った旅館は周辺に何もなく真っ暗けで期待していた繁華街から隔離された阿蘇山のふもとの草千里という場所にある旅館でした。
何もないのでやる事はタバコを吸うことと部屋で暴れる事ぐらいしかありません。
もう小学生でもないので枕投げはしませんが友人たちはプロレスの技の掛け合いをやってました。
窓から外を見ると他のクラスのやつらが大勢タバコを吸ってました。
吸い殻をポイポイ下の草むらに捨てているのでいつの間にか草むらが赤く燃えだしました。
誰かが慌てて急須で水をかけていましたがそんな少しの水で間に合わうわけもなく火が大きくなり大事になりました。
幸い周りに何もないので旅館の方だと思いますが消火器で火を消しました。
しばらくして俺たちの部屋に担任の先生でなく鬼のような顔をしたレスリング部顧問の先生がドアをガーンと開けて怒鳴り込んできました。
「吸ったやつは誰や正直に手を挙げて見ろ」と言われたので部屋の全員が手を挙げました。
俺と部屋の友達は全員正座させられあーだこーだと説教をされました。
というか説教の内容など馬の耳に念仏で全く聞いていないのであーだこーだとしか覚えていません。
先生が怒鳴り込んできた時とっさに柱の上のさんのところに隠したショートホープの箱が角度によっては丸見えなのが気になり説教されてる最中、そこを見ないようにうつむいてるのがおかしくみんな笑いをこらえていました。
そして浴衣姿の先生がパンツをはいていないことに全員が気づき説教の口調が強くなるたびにブラブラ揺れてるのを見てそれまで我慢していた笑いをこらえきれず俺たちは吹き出してしまいました。
先生は日本体育大出身で昔のレスリング部の人は風呂の後パンツをはかないのが習慣だったかもしれません笑
先生は何が可笑しいんやと大激怒しましたが先生はバリバリ体育会系なので笑った理由などをしつこく聞いたりはしませんでした。
全員ビンタをくらい停学になりました。
俺はバスケ部で体育教官室に良く出入りしていた関係上先生とは少し仲が良かったのでビンタの強さは見せしめで他の友人たちよりきつかったと思います。
ずっと一緒タヌキの置物
タヌキの事を何故鮮明に覚えているかというと今まで何度も引っ越しているのにタヌキは何と40年間いまもずっと部屋にいるからです。
藁でできた傘もボロボロで表面の生地は剥げて白くなっています。
いつも1人で淋しいのではと思い水前寺公園に行ったらタヌキの仲間を1人増やそうかと思い土産物屋さんに行きました。
土産物屋さんは中国や韓国の観光客向けに変化しており昔ながらの土産物屋さんは薄暗く活気がありませんでした。
木刀を置いていたであろう傘立ては老人用の杖が沢山さしてあり店の中はくまモンだらけになっていました。
店のおばちゃんに聞いて見ました。
「瀬戸物でないタヌキの置物ないの?」
するとおばちゃんは即答しました。
「あーあれはもう5年前から入ってこなくなったの」「もう作る人がいないみたい」
「えーどっか在庫もないの」
俺は食い下がりました。
「全部売れてないねぇ」
もう1軒の土産物屋さんも平日という事もあり薄暗くて全く活気がありませんでした。
ていうかお客さんは俺たちだけです。
「あーあれはないねぇ」
やはり同じ答えです。
2軒とも即答したという事はそれなりに売れていた商品だったという事ですね
時代の流れは仕方ないとはいえ時として淋しいものですね
仕方なくその店の片隅で見つけた長い間売れ残っていたであろう小さな瀬戸物のタヌキを2個買いました。
古いタヌキに仲間が増えました笑
タヌキの置物は元々貯金箱だったとおもうのですが蓋が破れたりして貯金箱としての機能はずっと果たしてません。
ただのゴミに近いですがもう40年も一緒なので死ぬまで捨てれませんね笑
俺が修学旅行でお土産を木刀かタヌキの貯金箱かで迷っている時当たり前ですがすぐ近くにNさんがいたと思うと人の縁は不思議だと思いました。
Nさんがいなけりゃまた熊本には来てなかったと思います。
まして40年ぶりの水前寺公園にもですね
本当に感謝します。
そしてわがまま野郎ですみませんでした笑
明日死ぬかの如く料理を注文しすぎでしたね笑
人生は楽しいです。