皆さん おはようございます。
ほんま残暑厳しいとはこの事ですね まだまだ暑そうですが遊びとお仕事頑張っていきましょう!!
神戸の話
俺はなぜかこの時期になると子供の頃の記憶がよみがえります。
子供の頃夏休みに遊び過ぎたせいで宿題ができていないのに学校が始まるプレッシャーともっと遊びたいのにあと少しで夏休みが終わる寂しさが入り混じり複雑なきもちになってよく腹いたになってた記憶があります。
俺の生い立ち
俺は兵庫県神戸市生田区北長狭通てところで生まれいまのトーアウエストと呼ばれる地域で幼少期を過ごしました。
小学校はその古い校舎をそのまま活かした今神戸の観光スポットにもなってる北野工房のまち、トーアロードを山手にあがったところにある北野小学校というところでした。
小学校に入学する頃家が喫茶店&レストランをはじめたので、神戸の三宮と新神戸駅の中間あたりにある加納町というところに引っ越しました。
当時は歩道橋もなく神戸は、市電が走っていてその市電の停留所の前が店でその2階に住んでました。
その頃日本は、高度経済成長の真っただ中の景気がすこぶる良かった時代で、うちもおこずかいを毎日1000円ぐらいもらっててそれで市電に乗って小学校に通ってたと思います。
小学2年生か3年生の頃 とにかく週刊で出る漫画の少年誌と呼ばれる少年マガジン、サンデー、キング、ジャンプ、チャンピオン全て買って、あとは買い食いで全部使い果たしてたので時々市電の定期代まで使い込んでいつも足りなくなってました。
車にはねられた経験
小学校3年の頃の話ですがオカンの目の前で俺は車にはねられました。
ある日の学校帰りの事です。
中山手3丁目から加納町3丁目まで市電乗って家に帰る途中のことでした。
いつもポケットに入ってると思った電車賃50円がありません。
「やばいなぁ 金あれへんやん」 どうしようとおもいましたが意を決して逃げることにしました(笑)
大人の影に隠れて降り口からダッシュで飛び出しました。
店と家は停留所の真ん前です。
「もし怒られても誰かおるやろ 」そうおもいばっと飛び出したところ左側から車が走ってきて
「ガッシャーン!!」
なにがおきたかわけわかりません。
丁度ボクシングのカウンターのように俺は車と衝突し、はね飛ばされ宙を舞いました。
オカンのびっくりした顔
スローモーションのように空中を舞い、逆さまの状態で前を見たらオカンが店の前で水まきをしていました。
買ってもらったばかりの、白い日本のプロ野球の帽子でない自慢の野球帽が、くるくると飛んでいるのを目で追いかけてたら、宙をまって逆さまの状態で俺はオカンと目が合いました。
あんなに大きく見開くのかというほどの目を剥いたオカン(笑)
相当驚いているのでしょう。
そら、店の水まき、鼻歌でも歌いながらまいてたんやろおもう そこへいきなりガシャーンて音とともに目の前で宙を舞ってる我が息子と目が合えば、誰でもあんななるやろうと思います。
あれは、ほんまにびっくりしてたなぁと思います。
「ドサッ!!」 鼻がツーンとして息ができなくなりました。
俺は背中をしこたま打って水でびしょ濡れになったけど、とにかくただ乗りで逃げて市電の運転手さんに怒られるのが怖くて周りに人が寄ってきて輪になってるとこをかいくぐって店に逃げ込みました。
その瞬間頭がクラクラして店の床に倒れたと思います。
オカンが必死でなんか言ってるのが聞こえたけど、気がついたら病院のベットの上でアイスノンがめちゃ冷たい、幸い頭は打ってなかったらしいので1日経ってすぐに家に戻りました。
ひざすりむいたぐらいでどっこも怪我してなかったようです。
エライ怒られると思ったけど、オカンがモロゾフのプリンを買ってくれたので、めっちゃ嬉しかったのを覚えています。
「帽子は?」って聞いたらドロドロなってたから捨てたって言われ、気に入ってたのに少し悲しかったけど、次の日かそごうに行って帽子買いに行こうってオカンが言ってくれたのですごい嬉しかったのを覚えています。
よくよくみたらオカンの目が真っ赤で充血して腫れあがってたのを今でも覚えていますね。
ほんまビビらせて悪かったです。
今のオカン
こないだオカンにその話をしたら 「はぁそうやったかな あんた今大丈夫かぁ?」今の俺の状態を心配しています。(笑)
現在のオカンは俺が持たせた、指でタッチ型のらくらくホンにかかってきた電話をやっととれるようになって喜んでました。
最後に
運が悪ければ、はね飛ばされて死んでたかも知れないですが俺は今も生きています。
はねられたことを思い出すたびにオカンのびっくりした顔がでてきます。
やっぱ市電のただ乗りをしてはダメっすね(笑)