深夜のメッセージが変えた運命
周さんの思いが私を動かした。
深夜に届いた一通のメッセージ。
それが私たちの人生を大きく変えることになるとは、その時は想像もしていませんでした。
「お願いがあります...」
このメッセージから始まった物語は、ビジネスの世界での信頼関係の真髄を私に教えてくれることになりました。
中国輸入の入り口で誰と繋がるかそれは成功の道を左右する大きな事かも知れません
最初の出会い:「その価値、はかり知れません」
現在うちのコミニュティNBCと連携してる梅桜貿易の周さんとは周さんが元居た会社の視察仕入ツアーで会いました。
時間に遅れて夕食の店に現れました。
「あごがかくっとして鼻に特徴あるな」
初対面の印象はそれだけでした。
まだその頃そこの会社は小さな事務所に社員は4~5名のみでした
その事務所でのある時の話ですが周さんと休憩したり会話したりしていると後ろの棚にある傷物を入れる段ボールの箱に
販売してた商品を前を向いたまま後ろを向かず頭ごなしにポイっと放り投げたりしてました。
その行動を目の前で見てびっくりして「周さん商品はもうちょっと丁寧に扱ってぁなぁ」と言いました。
意思疎通もなかなかうまくいかずもう担当者を変えてほしいといつも思っていました。
1個の事で何もかもが同じと思った不信感が募ったのかもしれません。
あと最初の頃うまく行かないことが多くて全部周さんのせい違うかとも思ったりしたこともありました。
でも時間と共に仕事のやり取りがキャッチボールに例えるとあっちこっちに投げてきてた荒れ球で取りにくかった球がズドンと取りやすい位置に投げてくるが如く変化してきました。
野球を知らない方にはわかりにくいかもですがど真ん中でも打てない切れ味の鋭い速球みたいな感じですかね
同時に私の会社の業績は伸びていきました。
その仕事ぶりの誠実さと飲み込みの速さに感銘を受けましたが、たまに忘れてましたと半ば開き直るときもありました。
まぁある意味正直という事ですがね
そして人を引き付ける素直な人間性。
当時の会社は、周さんの価値を非常に高く評価していました。
実際何人もの方のOEMをサポートし成功させています。
画像はうちのメンバーが年商1億突破した時のお祝いケーキです。
転機となった決断:新たな一歩へ
深夜のメッセージ:3度目の「辞めたい」相談
ある日の夜遅くに突然メッセージが来ました
「私が辞めたら困りますか」
当然やめられたら困るので強く引き留めました。
それは熱が出るが如く半年くらいの間を開け言い出してきます。
また深夜にメッセージが届きました。
もうこれで3回目でした。
都度で説得し思いとどまらせていましたが今回は雰囲気が違うのが伝わってきました。
辞める決意に至るまでの背景
周さんは「もう無理です」と言いました。
会社を辞める覚悟を決めて連絡してきたと思います。
それまで僕は中国の事を実体験で知ってたことや他のお客様とは何かが違うと良く言われてました。
いろんな相談に乗ったりもしてました。
今回も色々聴くと状況や周さんが考えてる事が見えてきて「これは仕方ないな」と納得しました。
勿論私にとっては辞められると人間関係も含め様々な事が振出しに近い事になり困るのは当然です。
それくらい一生懸命よくやってくれてたと言う事です。
しかし今回は自分のビジネスの都合だけで引き留める事は無理と思いました。
順調に見えても水面下では様々な問題が渦巻いていたようです。
周さんは、その状況に心を痛め自分自身のことも考えていたのです。
そしてついに辞めました。縁がなかったのかなそう思ってました。
やめて暫くピタッと連絡がありませんでした。
「あれだけ能力あるし他の会社に来てほしいってひっぱられるやろなぁ」
周さんが辞めて4ケ月ぐらいたったある日突然連絡が来ました。
久しぶりに会話すると相当悩んだようなことを言ってました。
そして「私独立したいので力を貸してくれますか」と言ってきました。
まさに豪速球。
ストレートの直球です
その言葉に、私は迷わず応えました。「色々世話なったし俺で良ければできることはするで」と答えました。
そしてやめて何か月もたつとは言え以前いた会社の社長に断りを入れるのが筋道と思いありのまま正直に話しました。
「わかりました」と返ってきたのですが、世間では私が辞めさせたとなってるようです。
これは単なるビジネスの判断ではなく、互いの信頼に基づいた決断でした。
周さんの夢とは?
知り合った時、周さんは初めて日本にやってきて日本の淡路島サンプラザホテルで研修した話をよくしてくれました。
相当苦労したと思います。
そこで苦労した事やその時の料理長さんや仲居のリーダーの方にものすごくよくしてもらったと、いつか恩返しの意味も兼ねて凱旋して宿泊したいといつも言ってました。
そしてついにその夢を実現する事が出来ました。
2019年の事でした。
うちのNBCの合宿を周さんが研修でお世話になった淡路島サンプラザホテルでやろうと言う事になりました。
コロナ禍直前でしたので千載一遇のチャンスでした。
偶然私の還暦祝いと重なりました。
宴が盛り上がったころお世話になった方々との感動の再会
涙涙でした。
そうすると仲居のリーダーの方が1人の女の子を連れてきました。
恥ずかしそうにはにかんでる彼女に「あの人が10年前初めてここで研修した人あなたの大先輩よ」と周さんを紹介していました。
ただ1度の機会
でもそれが実現できたのもNBCの皆さんのおかげと思いますが、意味のある不思議な力を感じました。
杭州西湖観光喧嘩事件:涙と火鍋の夜
周さんが梅桜を起業して1年ぐらいたった時の話です
周さんからプレゼントの提案
ある日「中元さんに凄くお世話になってるので何かプレゼントしたいです。何が良いですか?」と聞いてきました。
「セミナーで着るジャケット、ブランドはエルメネジルド・ゼニアでお願いします」と言いました。
「それは高すぎで無理なので、杭州の西湖に観光で連れて行くのはどうですか?」
展示会もあり仕入れれそうな市場もあるので一緒に杭州西湖へ行くことにしました。
民泊のルールと激怒
泊まるとこで「日本語を話さないでください」と周さんから念を押されました。
そこは何かビルの中の1室を改造したような部屋でした。
意味もわからず適当に言うことを聞かずそこで日本語で話してたら、周さんの顔がこわばってきました。
宿泊費を節約するためにホテルではなく外国人は宿泊できない民泊を予約した様でした。
よく考えてみると運悪く公安に通報されて公安の人が日本人嫌いの人なら、私と周さんは事情聴取で何日か違う場所で泊まらないといけなくなり、民泊のニコニコしたご主人は罰金かなにかの罪になるはずです。
それなのに私は気にせず日本語でゲラゲラ笑ったりしてました。
周さんは段々機嫌が悪くなり、ついには西湖で爆発し激怒されました。
「中元さんは子供みたいです。」
周さんがぶち切れるのは当然だと思いました。
「あんまり怒らんといてよ」と言いましたが機嫌は悪いままです。
周さんは普段ニコニコしてるけど機嫌悪い時は最高にトゲトゲしくなります。
まぁ怖ろしいです。
その日の夜も最悪の雰囲気です。
涙と反省
翌日もずっと雰囲気は悪かったのですが、僕はなぜか気にせずいました。
夜ごはんの時、周さんが涙目で「私は生理でイライラして中元さんに切れてしまい、何と失礼なことをしたのか一晩反省しました」と言い出しました。
これは反撃のチャンスだと意地悪な心が出て、「心が傷ついた」とか、あることないことぶちぶち言いました。
すると突然、周さんが突っ伏して「中元さんに何と失礼なことをしたのか、私はだめです」とわんわん泣き出しました。
うわ、これは度が過ぎたと思いましたが後の祭りです。
女性の涙は万国共通で僕の完全敗北です。
「俺の方が悪かったわ、申し訳なかった。もう泣かんといて」とハンカチを手渡しました。
その後すぐにケロッと普通になり、2人で海底撈火鍋をバクバク食べました。
余談ですが海底撈火鍋は池袋、ソウル、杭州、心斎橋、上野と行きました。有名な火鍋屋さんですね
深夜のメッセージ2:パクチーラーメンの思い出
周さんから夜遅くにメッセージが来るときは大概思いつめた問題事が多いので、夜のメッセージが来ると何事かといつもドキドキしていました。
パクチー袋めん
ある日、また夜遅くにメッセージが来ました。
開けてみると...緑色したインスタントラーメンの写真です。
写真をよく見ると、どうやら周さんの家の台所のようです。
何かしようとして、たまたま買って忘れてたパクチーラーメンを見て思い出したみたいです。
「中元さん、パクチー好きですよね。あじめしますか?」
僕がいつも食事の時パクチー大盛にしてたの見ていたみたいです。
「あじめ」とは何?
最初「あじめ」とは何???となりましたが、どうやら僕が食事の時によく言ってた「味見」のようです。
しばらくたって「持ってきて」と伝えたら、「あれはもう食べました。おいしくないです。おいしくないからか売切れでした」と返事が返ってきました。
いつも思いつきで言い出しますが、あとはやりっぱなしの時も多いです。
手作りハンバーガーを社員にふるまう
今度は突然ハンバーガーの画像が送られてきました
「ハンバーガー好きですか?」と聞いてきました。「最近食べてないなぁ」と返事しました。
「30個作りました」「どうですか?」
「何で30個も作ったん」と聞くと「検品係さんのお昼でみんなで食べる為です」去年事務所に行った時みんな恥ずかしそうにしてましたが一丸となってやってるのが伝わってきました。
イカの塩辛が弱点
またある時セミナーで来日した時土曜日東京で翌日大阪の強行スケジュールを組んだため私は倒れるぐらいへとへとになりました。
うちのメンバー以外と懇親会に行くのは無理となり、周さんのリクエストで居酒屋さんに行きました。
私は疲れ果ててぼーっとしてました。
みんなゲラゲラワイワイ楽しそうにやってます。
すると周さんがふと「イカの塩辛ってなんですか?」と聞いてきました。
説明するのも疲れて面倒なので頼んだらと言いました。 またしばらく時間が過ぎました。
すると口を押え目を大きく見開いて青い顔した周さんがドタドタ走って私の前を横切りました。
どうやらイカの塩辛爆弾を食らったようです。
大体の中国の人は生ものが苦手な人が多くイカの塩辛みたいなのは癖が強すぎでダメだったのではないかと思われます。
「あれは日本酒と一緒に食べたたら味変わるで」「周さんは日本酒好きだからいつか北海道に行った時再チャレンジしたら」と言って登別温泉で再挑戦したらまた口を抑えて走って行きました。
「イカの塩辛はもう二度と食べませんと言いました」
10年を経て:築き上げた信頼
時は流れ、10年。私たちが築き上げてきた実績と信頼関係は、あらゆる噂を超えて、確かな形となっています。
中国輸入は目に見えない部分が9割占めます。
その9割の仕事を任せれるだけの信頼関係が築けるか 中国輸入の成功はそこにかかってると言っても過言ではありません。
ビジネスの真髄:信頼関係こそが財産
この経験から学んだことは、中国輸入ビジネスの世界で最も大切なのは揺るぎない信頼関係だということです。
私が学んだ大切なこと
・表面的な評価にとらわれない
・相手の本質を見極め理解してあげる優しさ
・困難な時こそ共に歩む
・長期的な視点で関係を築く
・時には喧嘩もするけど、それも信頼関係の証
・文化の違いを楽しむ心の余裕を持つ
・日本式を押し付けない
・中国を理解する
深夜のメッセージから10年
あの深夜のメッセージから始まった私たちの歩み。
パクチーラーメンの「あじめ」や、西湖での喧嘩。
これらすべてが、ビジネスの世界における真の信頼関係とは何かを教えてくれた貴重な経験となりました。
互いを信じ続けることができたからこそ、今の私たちがあります。
時には意見がぶつかり、涙を流すこともありました。
でも、その後には美味しい火鍋が待っていました。
これこそが、10年の歳月が証明してきた最大の財産なのです。
この記事を読んでくださった皆様へ。国際ビジネスは言葉や文化の壁がありますが、それを乗り越えた先には、かけがえのない信頼関係が待っています。
皆様のビジネスにも、素敵な出会いがありますように。
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